運命の相手は探しても見つからない。結婚7年目を迎えて思うこと。
結婚7年目を迎えました。
うちの旦那はロマンティックなタイプではないので記念日に何かするという習慣は夫婦になってから一切なくなりましたが,それでも自分の中では毎回感慨深いものがあります。
夫婦危機のジンクス
結婚7年目になったと周りに言うと『あー,これから1年は波乱の年になるよ。奇数の年は何かと夫婦の危機が訪れるものだから』と言われてしまいました。
言われてみれば確かに,3年目に子供を出産してからそりゃもう色々書ききれないくらいの危機がたくさんたくさんありました。
5年目もかなりやばかった。ハートがびりびりに割けて,もうダメ!この人とはやっていけないと思ったことも一度や二度じゃない。
7年目には一体何があるというんだ…。怖すぎる。
家庭を築く
家庭を築くということの意味を最近よく考えます。私は3年目や5年目の危機のとき,本当の意味では分かっていなかったなと反省しているからです。
自分が生まれ育った実家のように,自分はありのままでただそこにいればいいって思ってた。”子供”という守られ受け入れられた存在として家庭にいることと,”夫婦や親”という守り受け入れる存在として家庭を築き上げていくことの違いに気づくまで,私は本当に未熟者でした。
自分は子供の頃と同じ、愛され守られるべき存在だと思い込んでいたから,旦那が私にとって自分勝手だと思える行動をとると「私は大切にされていない。愛されて守られる存在なのに」と裏切られた気になっていました。
でも,『愛されて守られて当然』なんかじゃないんですよね。夫婦であり親なのだからお互いがお互いを愛し守らなければいけない。与えてもらうこと,与えてもらえないことばかりに目がいって,自分が与えることをおざなりにしていました。
誓いの言葉
既婚者のみなさん、結婚式の誓いの言葉覚えてますか?独身の方も聞いたことあるかな?
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、病めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
今改めて見ると心が洗わられるようです。
愛し、敬い、慰め、助け、尽くす。受け身じゃなくぜーんぶ能動態なんですね。
これらを絶えず一緒にいる相手に行うことが,こんなに難しくなってしまうなんて,誓った当時は思いもしなかったなぁ。
忙しい日常の中で相手がいることがなんだか当たり前になってしまって,感謝したり思いやったりまるごと愛してあげることをすっかり忘れ去ってしまうんですよね。
そのくせ自分は,新婚の頃のように相手に感謝されたり大切に思われていないと不満だったりして。不満があるから相手に優しくできなくなって結果すれ違うっていう。
相手に何かを求めるなら,自分も与えていなければ与えてもらえるはずもないんですよね。
運命の人なんか探してもいない
先週の「逃げるは恥だが役に立つ」8話で主人公みくりの母のセリフ
運命の相手なんてよく言うけど運命の相手に"する"の。意志がなきゃ続かないのは仕事も家庭も同じじゃないかな。
運命の相手は『見つけるもの』じゃなくて『努力してなるもの』なんですよね。
結婚は我慢と忍耐!なんてネガティブな言い方もあるけど,他人同士が生活していく以上,相手に意識して感謝することや,相手を受け入れ愛し続ける努力は怠らないようにしなくちゃ『運命の人=仲睦まじい夫婦』にはなりえない。
旦那とは性格も価値観も趣味も見事なまでに合わないし,喧嘩もしょっちゅうだから,正直結婚7年目のジンクスは本気で恐ろしい。
でもこの世にたった一人しかいない私のパートナーで私の愛する娘の最愛のパパです。運命の相手にする!与えてもらうことに執着せずに自分から与える!という決意を胸に,7年目の荒波を平穏無事に突き進んで行きたいです。